その11 「タコちゃん、龍史に生まれ変わる!」

1977年6月11日、姉が結婚式を挙げることになった。父の体調も考え、姉は家からほど近い昭和通り沿いのタカラホテルに決めた。
母が天国へ旅立ったとき、姉は13歳、僕は10歳、父は42歳の働き盛り。父は仕事の合間に家事をこなし、姉もできるだけの手伝いをしていた。僕はといえば、相変わらず、声をかけられるだけで真っ赤になって俯く自分を持て余していた。人間は手足4本だけどタコは8本、僕はみんなの手足の二倍ある上に吸盤もある。何でも二倍吸収できるのではないか、と密かに自分自身を叱咤激励するが、表面的には何も変わらない。父は勿論のこと、日毎に家事全般を仕切るようになっていく姉にもできるだけ逆らわず、買い物も進んで行くようにしていた。
暗くなりかけた中村家を明るく盛り返してくれた姉と、再婚もせずに育ててくれた父のおかげで僕は夢見る能天気に育った。

その大切な父が優勢遺伝の「多発性嚢胞腎」から慢性腎炎、人工透析へ。姉も僕も検査の結果、残念ながら父と同じ体質で生まれたことがわかった。
父の弟妹にも、すぐに検査を受けるよう伝えた結果、叔母と、三人の叔父の内の二人が「多発性嚢胞腎」だと分かった。8割の確率で遺伝している。

郁子姉の結婚式の2年前、良二くんと私は、静岡県沼津市の私の実家を訪れていた。
両親と、同居していた母方の祖母の前で「留美子さんと結婚させてください」と頭を下げた。
きっと、俳優として売れてから、納得いった仕事の後で、などと考えていたに違いない。その上、腎臓の病のこともある。私の父は、その当時、普通の勤め人であったが、戦前は職業軍人で、優しさをうまく表せない、笑いの少ない芸能嫌いな人だったので、良二くんの緊張も否応なしに増す。ところが、良二くんは、顔をあげるとにっこり笑い、父の眼を真っ直ぐに見た。
父は静かに言った「留美子で本当にいいのですか?大変な娘(こ)ですよ」
ぬぬ、姉の時も妹の時も、頭を下げた相手を苦虫を噛み潰したような顔で睨み、致し方なく承諾していたあの父が、私に関してはそれ?父が謙遜したとは到底思えない。
すかさず、良二くんは言った「その大変なるみちゃんがいいんです」
父は、唖然として言葉を失ったように一瞬、目を閉じた。
その言葉を聞いた明治生まれの祖母が、ビールとサイダーとグラスを乗せたお盆をそっと母に渡した。母が父にサイダーを、祖母は彼にビールをついだ。
「そうですか。、、、留美子を幸せにしてやってください」
それは、私には手に負えないので、あなたに任せます、ということだったのか、、、。
演劇も芸能も興味のない父だったが、良二くんの舞台には必ずご祝儀を手に足を運んだ。
実家の誰もが、屈託がない良二くんの明るさに惹かれていった。

郁子姉の結婚の準備を手伝いながら、そんなことを思い出していた。
お姉ちゃんに任せっきりだったお父さんと、今度は私たちが暮らすために、東上野の家に二人で戻っていた。
三日後に結婚式を控え、その日は透析もお休み、お父さんも少し浮かれていた。鼻歌まじりで「良二もルーも、籍を入れないままだったら、郁子の結婚式には出席させないぞ!」アッ、数日前にも実家の母に電話で叱られたばかり、そう、入籍は二人ともどこかどうでも良いことと思っていたフシがある。「今日は木曜日、明後日は結婚式、さぁ、さぁ、極楽トンボはどうする?どうする?」お姉ちゃんも「え〜っ」と呆れ顔で私たちの顔を見る。

「二人とも観念してさっさと区役所へ走れ〜」
お父さんが透析を受けるときも区役所へ走った。今日もまた、区役所へ向かって走る。区役所は中村家にとって、走って行くところなのか。
「今日は何日?」と良二くん、「6月9日」と私、「ロックか!」「そうね、ロックか、ロック好きだからいいんじゃない?」慌ててサンダルばきの私は、小走りに付いて行く。彼は軽く後ろを振り向いて「そうだね、、、るみちゃんも結婚式を挙げたい?」「、、、そうね、、、、、あのサウンドオブミュージックの、、トラップ大佐とマリアの結婚式(息が弾む)あの、ザル、ザルツブルクの、大聖堂なら、挙げてもいい、かも〜」あっという間に台東区役所の玄関へ。私の結婚式の妄想は終わった。

1978年4月に森茉莉原作の「枯葉の寝床」が美輪明宏演出・主演で、渋谷のパルコ劇場にて上演された。その出演者のオーディションで出会った俳小の劇団員でクラシック音楽をこよなく愛する鷲巣照織さん(てる)と、教育大(現・筑波大)でサッカーをやっていた山田仁夫さん(仁ちゃん)と僕とは何故か馬が合った。と言っても、鷲巣さんと山田さんだけでは話が噛み合わない。演出家・早野寿郎さんに鍛えられたバリバリ新劇の鷲巣さんと、サッカーからコンテンポラリーのダンサーになり、ショーを作っている山田さんの間に、舞台全般・音楽全般・何でも好きの、不肖・中村が入って初めて成立する。ムーミンとクマのプーさんを足して二で割ったような優し顔のてるは、四角い顔に鋭い眼、ロングヘアーにパーマの仁ちゃんを「ちょっと怖いわ」と言っていたが、僕はそれぞれに信ずる道をわきめも振らずに進んでいる姿を好ましく思っていた。
稽古が終わってから、よく飲んで食べて舞台や映画の話をしていたその頃、フジテレビの「一発逆転」から親しくしていた英二(奥田瑛二さん)から、映画のオーディションに受かったとの連絡が入った。久々の仲間内の朗報だった。そのオーディションの前後に顔を出してくれた英二は、きらきら輝いてた。「竹の中から光を放つかぐや姫みたい!」とるみちゃんは言い、「奥田さん、きっと受かるわ」と太鼓判を押していた。みな、それぞれの場で活躍ができれば、それが何よりだが、僕自身はなんだか定まらずうろうろしている感じがする。

ある日、僕は演出の美輪さんに呼ばれた。劇団四季の頃から演出家に呼ばれて良いことは一度となく、いつでもお前の芝居は!と叱られてばかりだった。いや、叱られるほどの芝居を任されている役柄でもないし、思い当たることはない。17歳で黒澤明監督に出逢い、19歳で浅利慶太を笑わせたのもつかの間、クビになった僕としては、もう、怖いものはない!
でも一体何だ?

「中村良二ねぇ、あなたの名前、ドカンと大きなことをするか、縁の下の力持ちで終わるか、、」美輪さんは僕の眼を、その奥を覗き込むようにしながら
「名前の良二を21文字にしたらいいわよ」と。
そ、それだけ?、僕は慌てて「ありがとうございます。考えてみます」
「あっ、あなた、中村くん」と呼びかける美輪さんの声を背に、どのように美輪さんの楽屋を出たのか覚えてはいないが、こうしたら良いと言う助言は、ありがたく聞くことにする。

その日のうちにるみちゃんに伝えると、大きな瞳をさらに大きくして「実はね、入籍した後、印鑑を作ったでしょ。その時にも、印鑑の彫師の方がね、この方は生きているのですか?と訊かれたの。この『良い二』は、病多く二十歳で死んでもおかしくないと。生きているから印鑑を頼んでいるのにね。今、生きているなら大きなことを成し遂げる方でもあるから、心を込めて彫らせてもらいますって」
「へーえ、そんなことがあったんだ。それなら尚更、るみちゃん、考えてみてよ、21文字」
「私ね、前からこれどうかなって思っていた字があるの」
「どんな字?」「画数を数えてみるね、竜の画数の多い方、龍を書いて、歴史の史」彼女はメモ用紙を取り出して書きながら画数を数える。
「龍は16画、歴史の史は5画」「あっ、21画だ!」と思わず僕は大きな声を出した。「りょうじという響きはそのままに、龍史、これでりょうじと読むの、どう?」
「いいね、いいね!文字が光ってる!」「中村龍史、縦に書くとカッコいいね!」
「親父にもみせよう。きっと賛成してくれるよ」

私の目の前で、良二くんの顔がどんどん輝いて光を放って行く。極端な恥ずかしがり屋のタコちゃんが、タコの呪縛から解放されて、目の前で脱皮し、龍史くんになって行く。
何かが大きく変わる予感がした。

💌💌語り手のつぶやき💌💌

中村の父も姉も、もちろん本人も、大いに気に入った名前で、それから40年以上も過ごすことになります。この名前のおかげか、ニューヨークで倒れたときも生還しましました。その話は、まだ先ですが。。
花粉症で眼も鼻もボロボロだ〜い!           留美子拝

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