「タコ青年、迷想・迷走の日々を突っ走る!」

タコ青年はペキニーズを連れて、いやいや、良二くんは私を連れて、先ずは村田大さんがダンスを教える、千田是也さん(俳優座の創立者)の狸穴のスタジオへ行った。
そのスタジオは現役の俳優、新劇団の研究生など表現者のみを受け入れていた。
タイツとTシャツを忘れずにと言われていたけれど、ダンスなどやる気のない私は、シューズもないし、今日は見学だけだろうと気楽に付いて行った。

良二くんの後ろに付いて階段を降りて行くと、正面に鏡が貼られた広く明るいスタジオで、
大ちゃんこと村田大さんと中高年の男女10人程が談笑していた。
「おはようございます!」と良二くんは気軽に声をかける。
私は背中に隠れるようにして、どのタイミングで挨拶をしたものか迷っていた。
ところが、大ちゃんが私を見てにっこりと笑い
「りょうじのお友達のるみちゃんです。今日から皆さん、よろしくね」
「(戸惑いながら)よろしくお願いいたします」
顔を上げれば、舞台・映像で活躍をされている女優・俳優ばかり。加藤治子さん、佐々木すみ江さん、有馬稲子さん、錚々たる顔ぶれで、「着替えはあの右のドアの奥よ」と聞いたことのある声が教えてくれる。
大変なところに来てしまった!先に教えてよ!と私は心の中で叫ぶ。
着替えて出て行く。皆、裸足だ。シューズを忘れたは言い訳にならない。良二くんもすでに前列に並んでいる。彼の後ろにつこうとした瞬間、「りょうじの後ろは私なの」凛とした声で加藤治子さんが仰る。りょうじが連れてきた女の子、という視線を浴びながら、私は後ろに下がっていく。
ベーシックなレッスンが始まった。
「最初は身体の隅々まで神経を行き渡らせるためのダンスね。3ヶ月もすれば覚えられるから、見ていてもいいし、後ろから付いてきてもいいし」
大ちゃんは優しく言ってくれるが、動きはなかなか難しい。
内股で立ち、腰を前後左右に振りながら前に横に進む。ジャズダンスと聞いたがモダンダンスのような動きもある。小さい頃、クラシックバレエの教室に連れて行かれても断固として動かなかった私が、ずっと前で踊る良二くんの後ろ姿を追って、懸命に覚える。
次に、毎回、少しずつ振り付けて行く楽曲に移る。ライザ・ミネリの「アイガッチャ」、映画の「ロミオとジュリエット」など、激しいテンポからゆったりとした曲調まで、皆、「これは大変!」「うわーっ、かっこいいけど、、」と。
誰も出来ないとは言わず、その大変さを楽しんでいる。良二くんは身体がバラバラに動き、
手先足先まで神経が行き渡る。ライザの曲ではレコードの針が飛んでしまう程、思いっきりそのリズムに乗り、ロミオになれば振りから次の振りに移る間にその世界が見える。
大ちゃんがすかさず「そう!(自身の胸を叩いて)ここが大事なの!心よ、心!みんな、りょうじを見て!」
良二くんと短時間に沢山の話をしたけれど、体で表現をする素晴らしさにはまだ言及していなかった。彼の肉体の内から出てくるエネルギーに圧倒されていた。
いつの間にか、この華やかで真摯な空気感、大先輩ばかりのお仲間、大ちゃん独特のダンス、そして良二くんの新たな一面、その時間と空間に私も夢中になっていた。

ペキをダンスレッスンデビューさせて間もなく、タコ青年はペキを実家へ誘う。
真っ赤なN3の乗り心地にも慣れ、移動の間に聞く昔話、と言っても数年前のことだが、なんでも笑い話になってしまう話術に感心してしまう。

「高校卒業した年だったかな、トラトラトラの撮影が終わって、これも又知り合いの紹介で、
中村錦之助歌舞伎座公演にね、出たの」
私は助手席でミラー越しにその先を促す。
「おじいちゃんが六代目菊五郎のツケを叩いていたから、同じ歌舞伎座の舞台に立てると思ったら、もう、端役の端役でも何でもよかった。着物や袴の着付けも覚えられるし、刀を振り回したり、村人だったり。錦之助さんの『最後の将軍』賀津夫さんとの『殿様弥次喜多』、『いくぢなし』の勘三郎さん(十七代目)、毎日観ていても飽きないんだ」
想像するだけでもワクワクする。
「僕は上手から出てきて、切られて下手に捌ける。裏を走ってまた上手から出て切られて下手に捌ける。それを繰り返すのね、疲れたら切られ方を工夫する。少し粘って簡単に死なない、こんな顔してね」と、フロントミラーに向けて團十郎の睨みのように、片目だけを寄せる。
「出ている1ヶ月で足が速くなったの。裏を走るでしょ。その上、女形のお兄さんたちが楽屋口で待っているのを振り切るから」
「モテていたんですね」
「はい、お兄さんたちに」
笑っているうちに、下町風情が残る南稲荷町に着いた。

関東大震災直後に建った長屋だと聞いていたが、通りに面した陽の当たる二階建てで、左隣が印刷屋さん、路地を挟んで右隣が床屋さん。たしかに支え合うように建っている。
良二くんの「ただいま!」の声と同時にお姉ちゃんが飛び出してきた。
想像通りの下町のサザエさんが明るい声と笑顔で迎えてくれた。
丁度お昼時だったので、握り寿司の桶とお吸い物を、良二くんのお姉ちゃんが静々と居間の座卓に運んで来た。
台所の仕切りのガラス戸を開けると同時に閉め、持っていた急須を飛ばし、本人はガラス戸にぶつかる慌てん坊だと聞いていたので、そのお姉ちゃんが、静々と運ぶ様がおかしく、私の緊張も溶けていった。
良二くんに紹介され「初めまして」と頭を下げる。と、その時、私の目の前のお吸い物のお椀が、向かいに座るお父さんに向かってスーッと滑って行った。4人の目がお吸い物のお椀を追いかける。お姉ちゃんが知らん顔して、誰より素早く私の前に戻す。その途端、また、スーッと滑っていく。ついつい目で追う。お姉ちゃんが真面目な顔で戻す。また、滑っていく。4人の目が追う。お姉ちゃんが戻す。また、滑って行ったお椀を追った目が良二くんと合う。我慢できずに二人で吹き出した。「いやだぁ、もう!」とお姉ちゃん。「てめぇ、ばかやろう、このやろう、勝手に動くんじゃねえ」と、お父さんの声色で良二くんが言った。
挨拶もきちんと済まないうちに、皆で大笑い。
お父さんが「戦争から漸く戻って御徒町の駅に立った時、この家が見えたんだ。嬉しかったね。高い建物は何もなくてね。戦争を生き延びて五十年も経つ家だから(お隣の印刷屋を指して)こっちに傾いていても仕方がないな」
その日のうちに郁子義姉は、生まれてからずっと私の姉だったようなお姉ちゃんになった。
さすがのお父さんからも「てめえ、このやろう」の枕詞は一つも出ず、「ゆっくりしていったらいい」と照れ臭そうに言って出かけてしまった。

ご実家デビューも済み、それぞれの撮影に戻った1973年の師走。
いつもより早く仕事が終わり、京王線「明大前」改札を出た薄暮の時間、顔を上げると正面の映画館の看板絵がこちらをじっと見ている。ぬぬぬぬ、うっそ!顔の左半分と左手、間違いなく良二くんだ。タイトルも聞いたことがある。日活の映画館だったのか。思わず立ちすくむ。
彼はこの日の午前中に、四季の一期先輩の塚田さんとサンフランシスコに向かった。ロサンゼルスに寄り、クリスマスから年始までニューヨークと聞いている。

残照の当たる絵看板から空を見る。清水の舞台から飛び降りたロマンポルノの撮影の日々、そのギャラと夢を握りしめ太平洋の上空を飛んでいるのだろう。沢山観て、経験して、愉しんで、無事に帰って来て、と暮れかけた空に祈る。

現代のように携帯がある訳でなく、通信料が大変高い時代に、お世話になったのがコレクトコールである。交換手に日本の電話番号を伝えコレクトコールでと頼む、相手が了解してくれたら繋がる。これは相手が親兄弟、会社、余裕がなければ頼めない。当然のように、良二くんからは私に電話はかかってこない。1ドル360円の固定金利制から漸く変動金利制になった直後の時代である。手紙を書くほど滞在が長い訳ではない。旅程を聞いていたので、声を聞かなくとも、ひたすら想像しては土産話を楽しみにしていた。

羽田まで迎えに出ると、当時、流行っていたアフガンコート(羊の表皮を染め、裏側は羊の毛)の鶯色を明るくしたようなグリーンにアフガン模様の刺繍をしたロングコート、ジーンズにやはり刺繍を施したウエスタンブーツという出で立ちだった。
一緒に出かけた塚田さんがいない。「多分、しばらく出てこないと思うよ」「どうして?」
「あー、あの人はね、脚に怪しい雑誌を巻いてテープで止めてその上からジーンズをはいたんだって、信じられない。待つことないよ。行こう!」
どうしても先にお土産を渡したいからと、私のアパートに寄った。私にも、膝が隠れる程度のアフガンコートで色鮮やかなパッチワークが日本では見られないお洒落なコートだった。
羽田からずっと、舞台の話で、オフブロードウェイで観た『GODSPELL』が最高だったと。新約聖書のマタイ伝を題材に、キリストの最後の七日間を現代に置き換え描いたロックミュージカルである。古い教会でやっていたらしい。本も演出も面白かったと興奮して話してくれた。ミュージカル曲『Day by Day』を歌いながら慌ただしく上野へ帰って行った。アンドリューロイドウェバーの「ジーザス」より、心が動いたらしい。
その後、大塚の映画館で『GODSPELL』を観た。それほど入りは良くなかったが、
『Day by Day』は観客が皆、口ずさんでいた。
いい時代だった。

ニューヨークでの経験に押されるように「まだまだ何でもやるぞ!」と口にした良二くんの長い戦いがまた始まった。

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