CFのオーディションの帰り道、「お疲れ様でした!」と後ろから声をかけられた。
軽く振り向くと、太陽を背に男の子が近付いて来る。「お疲れ様でした!オーディション
で一緒だった中村です」日差しのように明るい声で「お腹空きませんか?」たしかにお昼も食べ損ね、おやつの時間も過ぎた。「良いお店があるんです、よかったら一緒に」私の返事を待つことなく、「車で来ているので帰りは送りますよ」。
眩しくて右に左に頭を傾け、合格した相手役だとわかり私は少しホッとする。
ちょっとハスキーな声が印象に残っていたので、「そうですね。確かにお腹は空きました」と思わず微笑んでしまった。「北参道にあるお店で、たらこスパゲッティが美味しいんです」
1970年代前半、たらこスパゲッティはポピュラーなメニューではなかったし、明後日からの撮影の話もしながらと、自分なりの理由をつけて彼の車の助手席へ、真っ赤な可愛いホンダN3に「お邪魔いたします」と乗り込む。新宿から北参道はあっという間だったが、その間も彼は話し続ける。軽妙な会話に、緊張が解けていく。「劇団四季の研究生だった頃、ここで少しの間バイトをしたことがあって」とお店の前で車を停めたところ、「CLOSED」の札が、ドアの把手にぶら下がっていた。「まだ、早すぎたか、、じゃあ、次!」と発車させる。
体ごと揺れるような乗り心地に、遊園地のミニカーを思い出す。後部から助手席に、何か旗のような幟のようなものが置いてある。頭の中で、「これは何?」と思った瞬間、彼は言った「それね、京都の渡月橋の近くのおでん屋さんの幟(のぼり)、美味しかったおでんとそこで休憩した記念に」「はっ?」「その布を開いてみて」開くとたしかに赤地に白抜きで「おでん」の三文字が。「かわいいでしょ!N3に似合うでしょ!窓からこれをヒラヒラさせて走ったんだ」「京都の街を?」「もちろん!」変な人だ、が、憎めない。夕方の休憩時間にぶつかり、お店はどこも開いていない。めげる様子のない彼の話に、私は久々に笑い続けた。
そして次に停まったのは、住宅街の民家の前だった。彼は車から降りると、ためらいもせずに玄関を開た。「あきっこにいーちゃーん!」「あきっこ兄ちゃーん、こんにちはー!りょうじです!」
初めて口をきいた男性と、初めてのお宅で食事をご馳走になる、初めての経験。
お腹を空かせて行った先は、彼の従兄弟の家だった。しかも新婚家庭らしい。嫌な顔一つせずに、迎え入れて、新婚の奥様が熱々のマカロニグラタンを出してくれた。きっとこれはお二人の夕食なのでは、と、気が気ではない。が、彼は美味しい!美味しい!と、フーフーしながら、私にも早く食べたらと、茶色がかった目で合図する。初めてお邪魔してお食事をいただく図々しさをどう、言い繕ったらいいのかわからない。なぜか、母の顔が浮かぶ。ごめんなさい!覚悟して、、、精一杯の笑顔で「いただきます!」
グラタンをご馳走になり、お茶をいただき、早々に失礼する。段々と私は共犯者の気分になってくる。帰り際に「良二が、女の子を連れてくるなんて初めてのことで、、、あいつは良い奴だから、何も心配しないで、送ってもらって大丈夫だから」と、あきっこ兄ちゃんは言った。
私は新婚の年上従兄弟ご夫妻に「突然にすみません!美味しくいただきました。ありがとうございました!」と頭を下げ、助手席のドアを開けて待っている彼の顔をキュッと睨んだ。
何もなかったかのように、彼は笑顔のまま、あきっこ兄ちゃんは作曲家でね、と話し始める。
その話、先にしてよ!と思いながら又、彼の話に笑ってしまう。
杉並のその従兄弟の家から世田谷の私のアパートまでは車で10分ほどだった。
アパートの手前で下ろしてもらう。「送っていただいてありがとうございました」
彼は助手席のドアを閉めながら「じゃあ、また、明後日!」と、笑顔で応える。
外階段を昇ったところで、ふと振り返る。車のドアの横に立って軽く手を振っている。
私もつられるように手を振る。
振り回されて疲れたけれど、何だか心地よい出会いだった。
2日後、撮影が始まった。
監督が「はい、そこで、手を繋ごうか」
彼はすかさず、もう一人の共演者太っちょ青年と手を繋ぐ。私はポカンと彼を見る。
監督・スタッフがプッと吹き出す。そこで初めて私の手を取る。ぎこちなかった空気がいっぺんに和やかになる。
話しながら歩く、喫茶店で話す、投票所へ向かう。そんなシーンを撮って数日。
撮影後は必ず送ってくれるので、N3が可愛く見えてくる。
ハンドルを握り真っ直ぐ前を見る彼の横顔は、透き通るような白にピンクの頬と唇、冷たく見えない程よい高さの鼻梁、綺麗な人だなと、初めて思う。まだ出会って数日だが、会えばひょうきんなしぐさで、言葉で笑わせてくれる。
最終日の帰り道、ちらと私に顔を向け「普段は何て呼ばれているの?」
「誰から?」「家族や友達から」「家族はるみこ、るみちゃん。友達はるみこちゃん、るみこさん、幼馴染もるみちゃんかな」
「じゃあ、るみちゃんね!」「えっ?」「僕もりょうじ、りょうちゃんかな」
また、正面から横の私をチラと見る。私が答える番だいうことか?
「じゃあ、、、貴方は、、りょうじくん!」「うん、いいね!初めてのひびき!」
昨日までとは違う空気感に、今までのこと、この先のこと、私の頭の中はぐるぐるまわる。
でも、りょうじくんは、昨日と変わらずにアパートの少し手前で車を停め、
「明日から又、日活なんだ。あと少しだけ残っていて。また連絡する」
彼は、胸のポケットから自宅の電話番号を書いたメモを取り出した。私は彼のことを何も知らない。初めて気づいた。
「僕の家は、上野からでも御徒町の駅からでも歩いてすぐなんだ」
「便利な場所!(メモを見て)はい、貴方の電話番号は覚えたので大丈夫。メモできます?
私の番号は」
彼は、そのメモ用紙に、るみちゃんと書いて電話番号を書き取った。
「るみちゃん、お疲れ様でした!またね」「りょうじくん、お疲れ様でした!また」
そして昨日の帰りもそうだったように、私が部屋のドアに入るまで見送ってくれた。
その翌日の午前中、部屋の黒電話が鳴った。
「夕方には撮影が終わるんだけど、迎えに行くから夕食でもどう?」
その日から、とにかく会っては話をした。好きな演劇、好きな作家、感動した舞台・映画・
音楽・スポーツ。
お互いが乾いたスポンジのように、ふたりの嗜好、趣味、感性、知性、持てるもの全てをぶつけ合うように共有するように吸収し満たして行く。
ただ、私にはその当時、お付き合いのある男性も居たし、映画の友・演劇の友・コンサートの友・美術の友、それぞれの造詣の深さに触れ、影響を受けた男友達が何人か居た。
中学生の頃、同級生の女の子にいじめを受けたせいか、同性に心を開くことが下手な私は、気楽な男友達と気楽な関係を築いていた。
ただ、演劇を学ぶつもりが、いつの間にか俳優の道が開かれ、興味半分、やりたくない半分、これで良いのか、劇作はどうするのか、常に葛藤し心は揺れていた。そこを、りょうじくんに見透かされていた。だから笑わせてくれた、私に笑いを思い出させてくれた。
自分が今、置かれている状況を正直にりょうじくんに話し、もう連絡はしないと伝える。
「僕は惚れちゃったんだから、仕方ないじゃないか!」
一瞬呆然とした。私の全てを受け入れる覚悟の言葉、、、。
その時、私はりょうじくんとの人生を選んだ。
タコはペキニーズとの人生を選んだ。
ペキニーズが飼い主に噛み付く気の強い犬だとは、その時、二人とも想像だにしなかった。
9話へつづく
💌💌語り手のつぶやき💌💌
結局、二人の出会い話になってしまいました。
若さゆえといえば聞こえは良いのですが、なんと身勝手な自分自身の反省を込めて。
中村が、演出や振付を手がけるのはもう少し先のことですが、その前の七年間があったからこそ、弾けた人生になったのでしょう。
この先も是非、続けてお読みいただけたら幸いです。
