2017年 ACT.3

「タコとべんじょと熊に気をつけよう」

僕は3月生まれ、あと1週間出生届が遅れていれば、学年は一つ下だった。小学生の頃、生まれた月順に校庭で並ばされることがあった、僕は3月25日生まれなので、だいたい一番後ろか、後ろから2番目だった。後ろに並んでいる同級生は前の方の子供たちに比べるとだいたい小さい、前高後低(ぜんこうこうてい)状態になる。それはそうだ4月生まれと3月生まれじゃ約1年違う、この頃の1年は子供の成長、特に身長にはかなりの差が出る。4月生まれの同級生が何だかお兄さんやお姉さんに見えた。その頃、友達同士であだ名を付けることが流行っていた。そもそもあだ名とは、「その人の特徴などによって実名の他につけた名」と広辞苑にある。一方「呼び名」というのもある。「実名に対して平常呼びならわしている名前」つまり「呼び名」はその人の特徴は関係ない。健一なら「けんちゃん」、智子なら「ともちゃん」。ところが「あだ名」は実に凝っている、そのあだ名になるプロセスがとてもユニークだ。

昭和30年代。町中では野良犬が闊歩し、セレブ風ペット犬といえばスピッツしかいない時代。僕の周りにとてもユニークなあだ名があった。
「小此木」(おこのぎ)と言う苗字だが、おこのぎおこのぎおこのぎおこのぎ…。10回言うと、おこのぎはコオロギに変化する。当時のコオロギ君は便所に多く見られ、何と彼は「便所コオロギ」と呼ばれてしまう。ところがどっこいあだ名はそこで終わらない。子供の発想はもっと素敵な?危険を伴う遊戯と化す。元々コオロギで始まり、便所コオロギに発展してしまったあだ名だが、ちょいと長い。あだ名は短ければ短いほど呼びやすくまたクオリティーが高い。
「便所」をとるか「コオロギ」をとるか?別に子供会で多数決を取ったわけではないが、数週間後、なんとコオロギが外されて便所だけが残ってしまった。
世にも恐ろしい子供的危険人権無視的発想になって、とうとうあだ名は「べんじょ」になってしまった。人のあだ名が…「べんじょ」…?漢字で書くともっと恐ろしい「便所」……。
ベンジョンソンが「ベンジョ」ならまだ解る。しかし小此木と云う苗字からの「便所」……。第三者には絶対理解できない。

何年か前、恐ろしいことに、いや別に恐ろしくはないが、その小此木君から何十年ぶりに電話があった。僕はおもわず「えーっ、久しぶりー、べんじょ?本当にべんじょっ!?」と2回も言ってしまった。彼はさすがに「やめてくれよそのあだ名で呼ぶのは、タコ!!」。そう僕のあだ名は「タコ」だった。

僕のあだ名は「タコ」。小学生の頃、授業中先生に「中村っ!」って指されるだけで赤面し、
頭はぼーっとなり汗が出てくる。いわゆる対人赤面恐怖症だった。おまけに口がとんがって「ゆでだこ」状態。そこであだ名は「タコ」。女子に声をかけられでも真っ赤、注目されるのが一番やばかった。大きな「タコ壼」があれば入ってしまいたいとい小学生時代だった。

現在ならば「べんじょ」も「タコ」も確実にいじめとみなされる。でも呼ぶ側に悪意があるわけではない、呼ばれる方も別に嫌がってるわけではない、一種の子供的言葉遊びだ。

さすがに今、僕の事を「タコ」と呼ぷ友人はいない。それもちょっと寂しい気がする。

そのタコちゃんも3月で66歳、倉本聰さんとの共同創作「走る」も無事千秋楽を迎え、すでに富良野が懐かしく思える。出演者にとって超過酷な舞台「走る」は一昨年の11月、東京、札幌でオーディションを実施。去年1月から月に1回ペースで行なわれたワークショップは、全編約95分を走り抜ける体力、心肺能力の強化、怪我をしない身体作りを目指した。
12月から本格的稽古、12月20日から富良野演劇工房での合同稽古。1月15日富艮野初日。
その後全国17カ所31ステージをこなし、富良野に戻り3月7日に幕を閉じた。

マイナス23度にもなる富良野でのーカ月に及ぶ生活。雪中での夢中なナチュラルドリフト運転。東山魁夷の絵のような雪景色。今、全てが夢のように思える。

一つの作品が千秋楽を迎えると、僕は達成感と共に身体からちょいとカが抜け、心は少し安堵する。この感覚が嬉しく気持ちが良い。富良野の打ち上げ(千秋楽日に行なう、スタッフ、および出演者に対しての慰労会)では、全国各地を一緒に回って来て、まるで戦友のような絆で結ばれたスタッフキャストの熱いノリ……には、ついていかれず、かといって一人静かに酒を傾けるわけにもいかず、みんなのノリを少しだけ分けて頂く。基本的に演出家は旅公演には同行しない。ただ、何か舞台上問題が生じたり、美味しい食べ物がある地方には嬉々として、粛々と出かけて行く。だから戦友のような絆は演出家にとっては無縁だ。でも貰いノリをしているうちに、また安堵感と達成感が軽くさざ波のようにやって来る。その心地は孤独と幸せのコラボレーションとなる。

ホテルの部屋に戻り家内と2人で改めて乾杯、「お疲れ様でした!」。

ここでやっと全てが終わる。常に2、3の作品が頭の中で同時進行している事が、創り手の
性(さが)であると思っている。2人で最後の乾杯がまた新しい作品のスタートとなる。

春は楽しい、何かワクワクする。熊に気をつけながら山菜も取りたい、熊もそう思っている。

「満開の 宴の席で ストレッチ
気持ち良くもあり 気持ち悪くもなる」
   
今年は僕にとって「この道50周年記念」。素敵なターニングポイント年にしたい。

この「ステージナビ」コラム連載も、舞台「走る」倉本聰さんとの出会いも大きなポイント。人生には幾つものターニングポイントがある。その時、後悔しないために毎日を大切に生きる事がとても大事だと考えている。

ターニングポイントは右に曲がるわけでもなく左に行くものでもないと僕は思っている。
確実に掴(つか)んでいけば、真っすぐな道が太く豊かに伸びて行く。点(ポイント)ではなく真っすぐな波乱万丈的直線がいい。ターンすることが目的ではなく、ポイントをしっかり掴むことが大事だ。

いつ来るかわからないのが災害とターニングポイント。その時に備えて防災グッズも良いけれど、大事なポイントを掴むため、自分のアンテナをB29…違うっ、CRC5-56でシュッとひと吹き!
ピカピカに磨いておこう!   
                                       RYOJI

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