1983年、頭を丸めて挑んだ、ショー創りも、僕自身が舞台に立つことも、思いの外、順調に進んだ。コンサートの演出も、誰に教えられ、誰を目標にするのかもないので、勝手ながら僕流でやるしかない。
タコと言われていた頃からは想像もつかない、自分が観たいものを創る、自分流を貫く。
根拠のない自信「まっ、いいか」も、黒鳥のお客様の拍手喝采を受け、常に満席であることが少しずつ自信に繋がっていく。毎回、出演者それぞれの個性を活かすショーアップの仕方や構成を、模索する。それに加えて、ステージプロデューサーの大橋さんがそそのかす隙間産業、コンサートの演出・構成・振付の依頼も多く、アイディアを捻り出し、それを形にし、夜は夜で舞台に立つ。そんな日々が続いた。
ある日、シンガーソングライターでまだ大学生だった大江千里君(現在、ニューヨーク在住のジャズピアニスト)が黒鳥に現れた。新しいショーのリハーサル中だったので、簡単に挨拶を済ませ、僕はショーメンバーに眼を戻す。すでに神戸のライブにも出かけ、顔合わせは済んでいた。デビューコンサートのコンセプトは「宝塚男子版」でいきたいがどうだろう?とEpicSONYや大橋さんからも相談されていた。この地味でまっすぐな眼をした彼は、不安で僕の仕事の様子を見にきたのか、、、「何をさせよう?」、、「何をさせられるのだろう?」地下へ続くうす暗い階段を降りながら、彼は不安でたまらなかったのではないだろうか。
ゲイのオネエさんが絡み付くような目で彼を見ている。リハーサルを見守るるみちゃんも不安そうな目で僕を見る。僕はるみちゃんをを手招きした。大きな音の中で耳打ちする。彼女は大きく頷いてバッグを持ち、初対面の千里君を外へ連れ出した。
「お腹、空いたでしょ?何か、食べたいものはありますか?」と訊くと、線の細い少年のような彼は小さな声で「あぁ、じゃぁ、牛丼で」、すぐ目の前に吉野家があった。「これでいいのかな?」「はい」。こちらの懐具合を慮ったのか、それとも牛丼が好きなのか。言葉を交わすこともなくカウンターに座り、肩を並べて黙々と食べた。これから計り知れない大人の期待と自身の夢を背負って行く千里くんへ「貴方らしく頑張って!」と心の内で呟いた。牛丼には紅生姜なのかと、妙に感心する。これが私の吉野家デビューでもあった。
どっちが好きでもいいのだが、分かりにくい芸術が高尚だと思っている日本人は多く、分かりやすいエンターテイメントを下にみる嫌いがある。会場に足を運んでもらうのに先ず必要なのは、「分かりやすさと笑い」ではないか。
堅苦しい家で育った私は、明るいユーモアに満ちた中村家の文化が好きだった。龍史くんの突き抜けた明るさは、どんな困難も一緒に乗り越えられ、不安を吹き飛ばす力を持つ。
ショービジネスが漸く花開く時代に、何でもエンターテイメントにしてしまう彼の「面白がる感覚」と同じように、私も彼自身を面白がっていた。
列を成す黒鳥のショーを、縦24cm横幅34cmで10頁のモノクロで、薄いパンフレットに近い写真集として残そう。30過ぎの私にとって初のプロデュース、写真は大橋さんの紹介で温かい写真を撮る、五海ゆうじさん、アートディレクターは後に、国内外の「地球の歩き方」の表紙イラストを担当した日出嶋昭男さん、メッセージをEPOさんから、金銭的なところは大橋さんに任せ、私はタイトルやキャッチコピー、文言を担当した。勿論、全責任は負わなければならないことは承知している。
でも、これは新たなエンターテイメントを目指す龍史君への、私の応援歌でもある。初めてのことに私も気合が入る。
写真集のタイトルは「傾ひて候ふ(かぶいてそうろう)ー 極附艶姿夢写絵(きわめつき あですがた ゆめのうつしえ)」
写真の中の言葉を拾ってみると、
誰でも簡単にカブキモノになれる。
材料 1 遊びゴコロ カップ一杯
2 自己顕示欲 大さじ一杯
3 勇気 小さじ二杯
4 その他、好みでルージュ、シャドウ少々
プロのコツ
とにかく遊びゴコロとセンス
プロからの注意
あいことば 「美は乱調にあり!」
目標 「目指せ! 一億総カブキモノ!」
あなたも決心がついたなら いざ・いざ・傾ひて候ふ。
ありがたいことに次々と仕事は舞い込んだが、僕の二足の草鞋は続いていた。
ロックバンド・東京JAPが、松任谷由実演出でコンサートデビューするにあたって、それを横からサポートして欲しいと大橋さんから依頼があった。「何をすればいいんですか?」「うん、りょうちゃんらしく遠慮せずに、演出など分からないユーミンに良い悪いを言ったらいいねん」大阪出身の大橋さんは、誤魔化したい時には大阪弁で早口になる。「ぬぬ、あやしい」と僕は思った。
それでも、ユーミンと仕事ができる経験はなかなかあるものではない。「龍史くん、面白そう!」と、るみちゃんは又、僕の背中を軽く押す。
この経験が、1年後にユーミンのステージングに関わるきっかけになるとは、思ってもいなかった、、、いや、るみちゃんも僕も、どこかでその縁を感じていたのかもしれない。
♪踊るライトに背中押されて 忘れたはずの夢が見えた
気付かぬうちに 鍵をかけてた 自分の腕が そっと開いた
Heart is. music 選んだ言葉よりも Heart. Is music 優しさ抱く夢の中へ♪
ある時、黒鳥のお客様でもあった「チャゲ&飛鳥」の飛鳥さんがショーに感動して楽曲を提供してくださった。若者三人と龍史君とで歌う。
「11PM」でもこのショーを取り上げた。大橋巨泉さん曰く「日本でもこんな洒落たショー作っていたんだ。楽しみだね、これからの日本のエンターテイメント!」
ビルの外から地下に降りる階段まで、連日、お客様が並んでいる。
当初の目標は達成した。龍史くんは、実に愉しそうにショー創りに励んだ。
作曲者、作詞者の著作権を無視した切り方、繋ぎ方、海外のミュージカルのパロディーや、おいしい処どりの構成も、あの時代だから許されたことだ。
でも、それが完全なオリジナルを創る最初の一歩だったと思う。
1984年初頭、「あの、陸橋をバイクで渡る、、、中村さんだったかな」ユーミンの一言で、スタッフの仲間入りをすることになったと、大橋さん情報で知った。大阪訛りの標準語でゆっくり話したから信用しよう。僕はそれを機に、二足の草鞋(わらじ)を一足に絞った。
稽古嫌いのオネエさん達と、一緒に舞台に立ったのは2年にも満たなかったけれど、僕は最後まで諦めずにやりきった。支配人もなんでも面白がって許してくれた。皆、ある意味、懐が深かったのかもしれない。なんだか寂しいような、切ないような。。
「はじめての経験に、いささかのとまどいと、コーフン。
あまりの軽さと、意味のなさに 軽チャーショックをおぼえたアナタ。
手拍子におくれをとって 最後まで追いつけなかったアナタ。
腕組みし 額にしわ寄せ 哲学してしまったアナタ。
あるいは、御自身の内にある、自由への憧れ、変身願望がムクムク頭をもたげ思わず、
水割り飲む手をとめていたアナタ。
途中で、トイレにたって、しっかり自己顕示なさったアナタ。
ひたすらのりまくって、楽しんでくださったアナタ。
楽しまなければショーじゃない。
楽しくなければショーじゃない。
あたたかい声援と拍手をありがとう」 (写真集より)
もの創りとしての「第一期修行」を終え「ネクスト!」に向かう龍史くんは、最高のプロフェッショナルが集まるユーミンのスタッフ会議に臨む。世界の名車が並ぶ駐車場に、
愛車KAWASAKIで乗りこむ。いざいざ!!
💌💌語り手のつぶやき💌💌
98歳で亡くなった私の叔母の遺品のなかに、龍史くんと書かれた小さな衣装ケース。その中に、たくさんのチラシやプログラムがあり、その陰に隠れるように、この写真集があった。パンフレットのような作りだが、久々に手に取った瞬間から、あれやこれや、二人で話したこと、お店の匂いや、スタッフ・キャストの顔、応援してくれたお客様、使われた楽曲、リハーサルの日々、いつの間にか本番が2回から3回に増えたこと、etc,etc を思い出しました。私の親にはなかなか言えず、聞かれるまでは黙っていた記憶があります。今度の総会イベントの折に、この「傾ひて候ふ」を持参します。
御来場の際は是非ご覧くださいませ。 留美子拝
