その15 「1980年代・コンサートをショーアップ、                                     スタースタッフを目指す!」

理髪店の鏡の前に座る。
鋏を持つのは、亡くなった父より年配の穏やかな仏様顔の店主だ。
鏡に映る僕の目を見て「いいんですね。5厘で?」
僕は得度する僧侶のように「はい」と短く答えた。軽く目を閉じ、瞑想に、いや、今日までの来し方を振り返る。

神谷町の小さな二階建てを借りていた1979年の6月、初の東京サミットが迎賓館で開催
された。
僕らの家から坂道を上がると角は「ホテル・オークラ」その先にアメリカ大使館がある。
僕は毎夜、赤坂のクラブでピアノ伴奏、たまに弾き語り、たまに夜中もギターで伴奏し、休憩時間にパチンコ屋で100円玉一つを元手に生活必需品をゲットする。帰りは深夜、なかなかの荷物を抱えながら、アメリカ大使館の前の坂道を歩いて帰って行く。その度に、大使館の前で二人の職員に質問される。
「その荷物は何だ?」「パチンコで獲った戦利品だ」「???(怪しい顔をされ、ジロジロ見られる)家はどこだ?」「すぐそこだ」「???ほんとか?」二人でこそこそ話し、「その荷物を全部見せろ」サミット開催中とはいえ、毎晩止められる僕は、いい加減、頭に来ていた。
戦利品を全部投げ出し、「てめえ、馬鹿野郎!いい加減にしろよ!毎晩、この道を通っているんだ!いい加減、人の顔を覚えろ!」
怒る時は絶対に母国語だ!と、僕はこの時に決めた。

ピアノ伴奏を始めた頃、歌手のアイジョージさんに「赤いグラス」(彼の大ヒット曲)の伴奏を頼まれ、全身冷や汗だらけで弾いたことや、音程を三度上げて、下げて、の客の注文に、その頃の僕はギターなら簡単にできても、ピアノでは時間がかかってしまう。その度にタラランと、出来たかのようにピアノを叩いて、「はい、まだ高いかな?。もう少し低くしますか?」などと言って、全くキーを変えずに弾いていた。多少、酔っ払った客は「そうそうこれ、このキーよ」と、又、歌い出す。僕は、そうでしょう顔で、頷く。人の顔もまともに見られなかったタコの僕でも、そんな度胸はついた。

八丁堀の「日の出運送」の社長も、運転手仲間も皆、気持ちの良い人たちだった。仕事終わりに酒屋で一杯ひっかけながら、今日の荷物はきつかった、渋滞にはまって遅れそうだった、などと首にかけたタオルで汗を拭きながら話し、グイグイッとお酒を煽る。僕はその姿が好きだった。
俳優の仕事に行き詰まっていたある日、「そういう生き方もあるんだね」るみちゃんに伝えると「そうね。人それぞれ、いろいろな生き方があるもの。でも貴方はトラックの運転手に選ばれてはいない」「だからと言って俳優に選ばれている?そう思う?」「貴方は自分を信じられないの?」僕はちょっと嫌な予感がした。僕を龍史君ではなく、貴方と呼んでいる。彼女が怒る時は、決まって丁寧な物言いになり敬語を遣い追い詰めてくる。「そんなに自分が信じられないなら」と南青山のアパートの窓を開け、「さっさと全部、やめたらいい!」と、食卓にしていたテーブルを放り投げた。階下はプロレスラーの部屋、庭の隅には僕の愛車カワサキ。慌てて階下へ降りると、テーブルは庭の真ん中にひっくり返っていた。
幸い、プロレスラーは留守だった。一緒になってからずっと使っているマグカップを探す。
雨の後で地面も濡れていたせいか、マグカップも割れずに二つみつかった。

その時、カワサキに被せていたシートがガサっと小さな音を立てた。僕は右耳がほとんど聞こえないが、「ミューミュー」と僕の身体に訴えかけてくる。そっとシートをめくると、まだ目も開かない猫が、天を仰ぐように鳴いている。それが、後に会社名にもなった「ひらめちゃん」との出会いだった。

「こんな感じで、どうでしょう?」店主が優しく声をかけてきた。
眠っていたわけではない。高校生以来の5厘、二度目の清水の舞台を飛び降りる前に、今までの反省とこれからの揺るぎない方向を考えたかった。
「ありがとう。おかげでさっぱりしました」
僕は、少しゆるくなった気がするヘルメットを被り、エンジンをふかし、明日に向かって
スピードを上げていった。

翌日、黒鳥の初日を迎えた。自分の構成・演出・振付に自分自身が出演するのは初めてのことだ。ショーパブのショーだからねぇ、なんて言わせないし、そんな気持ちで創ってはいない。舞台は何でもありだと思うが、下品でも下衆でもなく、明るく面白くさわやかにしたい!
自分の稽古はさておき、怠けたがる出演者を叱咤激励、プロのダンサーの力と若者のエネルギーを借り、ゲイのお姉さんはより美しく立てるよう、僕は皆の隙間を埋める役回りに徹する。それで、ようやく形になった。

「ギャーッ!私の口紅が無イーッ!」ラブが狭い楽屋で叫ぶ。「最初の衣装はこれよね?
ねぇねぇ」と、エルがヒラヒラの衣装を持ってネバさんに訊く。「自分の衣装は自分で管理しなさいよ!オレはオレで精一杯!」「ウウン、いじわるぅ!」「ギャーッ!頭が決マラ無イーッ!」又、ラブが叫ぶ。
普通の男どもは、狭い楽屋を出て客席でメイクをした。皆、見ない聴かない騒がない。僕はベースを塗るだけだから、さっさと終え、自分でつけた振りの確認をする。「イヤリングがー」「衣装がー」の声がまだ聞こえる。支配人が「開店しますよ!席は予約で全部埋まってます!」 楽屋がしんと静かになった。

その日、2回のショータイムを終え、乾杯もそこそこに、るみちゃんを後ろに乗せバイクで家に向かう。「どうだった?」「面白かった!お客様も、箸やグラスを持つ手を止め、思いっきり笑っていた」「舞台からもお客様の笑顔が見えたよ」「コンサートの関係者も面白い!面白い!と喜んでいたし、まずは成功ね!初日、おめでとう!」彼女は僕の背中に抱きついて、大声で左耳に叫ぶ。「何をどう続けたらいいのか、わかってきた気がする、、、いろいろ心配をかけたけど、背中を押してくれてありがとう!」急に背中が重くなった。
しっかりと僕のお腹に手を回し、るみちゃんは眠っていた。

「雅夢」のデビューコンサートの評判が良かったせいか、ステージプロデュースをされている大橋さんから、ぼつぼつとコンサートの演出の仕事が入るようになっていた。その当時は、コンサートの演出や構成をするのは、レコード会社の担当プロデューサーや所属会社の社長だったり、振り付けが必要だったら振付師に頼み、総合的に構成・演出・振付を一人で手がける演出家は居なかった。そう、居ないんなら、僕が第一号になればいいと、密かに自分自身に言い聞かす。

EPOのコンサートも、大江千里君のデビューコンサートの打ち合わせも、本人と会うのも
「黒鳥の湖」だ。演出家との打ち合わせが新宿のショーパブ。地下に降りる薄暗い階段が、
挨拶に来たアーティストを不安にさせなかっただろうか?でも今は、この二刀流でいくしかない。
僕の左耳に「どうせやるなら、スタースタッフを目指せ!」と、るみちゃんが囁いた気がした。

                                                                                                                                  
                                                                                       
💌💌語り手のつぶやき💌💌
今回は、龍史君の語りで終始しています。その方が臨場感があるかと思ったのですが、いかがでしょうか。龍史君は車では好きな楽曲を流し、バイクに乗ると、突然、後ろの私に歌わせます。私は彼の注文を聞きながら、歌って、歌って、疲れると眠ってしまう癖がありました。
一度も落ちることがなかったのは、飛ばし屋の彼の技か、私のバランス感覚か😇😇😇
                                  留美子拝

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