ドアを開けようとする瞬間、タコと呼ばれた少年時代が蘇る。
このドアを開けると、一斉に、僕を見る、振り返る、胡散臭い目、値踏みをする目、いや、仲間を受け入れる空気もあるかもしれない。どうであれ、このドアを開け、一流クリエイターと渡りあわなければ、今後の存在価値はない。
「龍史君なら出来る!堂々と仲間入りしたらいい!」るみちゃんは、玄関先でそう言った。
ドアの向こうには、『YUMING BLOOD』のスタッフが集まっている。
一瞬、眼を閉じ、「まっ、いいか」自分の感性と勘と経験に身をまかす。
僕はドアノブをまわした。
思い描いた通り、ユーミンはさながら天照大神の如く光を放っていた。ユーミンが微笑めばスタッフも微笑まざるを得ない空気がそこにはあった。なるほどと、僕は理解しつつ椅子に掛ける。ここ数年、頼まれたコンサート以外は、何もかも一人でやっていたので、久々に創ることを面白がる仲間が増えた感がある、いや、油断はならない。CMの監督である黒田さんの演出、舞台監督の大塚さん、照明の林さん、音響の河田さん・美術の樋口さん、どの部署もチーフデザイナーが出席し、僕は弟子もアシスタントも居ないステージングのチーフ兼手下(てか)として出席した。きっと僕が最年少だろう。みな、オジサンに見える。多分、同い年であろう
松任谷さんもオジサンに見える。
僕はステージプロデューサーの大橋さんから紹介され、軽く挨拶をする。
ユーミンが拍手をすれば、皆、拍手で応える。ユーミンが「中村先生」と呼べば「ナカムラセンセ」になる。その日から僕は、コンサート業界では「ナカムラセンセ」になった。
KAWASAKIで、渋滞の首都高速道路を抜け、漸く湾岸道路に入り行徳へ向かう。
父が亡くなってからしばらくは東上野の実家に住んでいたが、1981年頃、再開発という名の地上げが下町界隈を襲っていた。立ち退きを迫られる長屋暮らしのご近所は、集まっては立ち退きの条件を並べ立て、通らなければテコでも動かないと、鼻息を荒くしている。昨日まで杖をついていたお年寄りも元気になったような気がする。
「借りたものは返せばいい」父ならそう言うだろうし、以前、せめて上物だけでも売って欲しいと大家さんに頼んだがダメだった、という話も聞いている。関東大震災直後に建て替えられたその家に、父は、祖父母に連れられ日本橋から移ってきた。僕もここで育った。嫁いだお姉ちゃんにも聞く。
「想いや懐かしさは胸が痛くなるほどあるけれど、致し方ないね。今度、大きな地震が起きたら、いっぺんにグシャ!、、、江戸っ子を気取っている若いモンがぐずぐず言うのは野暮だね」
お年寄りだけの世帯は手厚く、若者は、しがみつくことなく外の世界へ飛び出すキッカケになるのではと、るみちゃんとも話す。僕らは、引っ越しのトラック代と、世田谷の経堂に借りたマンションの入居金を出してもらっただけで、誰よりも一番早く、東上野を出た。
前へ前へ進もうとしている僕らは、お金に惑わされたくない、足を引っ張られたくない、その一心だった。
その経堂は2年程で、次に、るみちゃんの妹一家が住む市川市の行徳へ移った。
ひらめ(飼い猫)にとっても、3回目の引っ越しである。下町で仲良く遊んでいた野良猫のフランクやチビたちが気になり、近くへ行ったら探してみる。名前を呼ぶと応えていた猫たちも、古い家が次々壊されると全く姿を見せなくなった。
移り住んだ行徳のマンションは、湾岸道路の行徳で降り、行徳駅に向かって右手の大きなマンションの7階で、広いルーフバルコニーからディズニーランドの花火が見えた。
渋滞をものともせず郊外へ帰る、るみちゃんとひらめが笑顔で迎えてくれる、休みは小さな甥や姪と遊ぶ、ひらめがバルコニーを駆け回る、花火を見ながらビールを飲む、そんなことが、慌ただしかったここ数年の疲れを癒してくれた。
料理を始めると、ついつい、ユーミンの「チャイニーズスープ」(荒井由実作詞)を口ずさんでしまう。
椅子に座って爪を立て 莢(さや)えんどうのすじをむく 莢がわたしの心なら
豆はわかれたおとこたち みんなこぼれて鍋の底 煮込んでしまえば形もなくなる
もうすぐ出来上がり・・あなたのためにChinese soup 今夜のスープはChinese soup
私はこの歌が、残酷なお伽話のようで好きだ。龍史君にそう言うと、彼は美味しそうにビールを飲みながら
「今回、振り付けるから楽しみに、、それからダウンタウンボーイも」
「ユーミンはそんなに踊れるの?」
龍史君はちょっと首を傾げて
「これからは、ユーミンが動く、コーラスが動く、バンドも動く、人が動いて人は感動するのではないか、、、ステージングでどこまで出来るかわからないけど、ユーミンのあのスタイルの良さを活かし、よりかっこよく、より美しく、、、まだ日本ではやっていないコンサートのショーアップを試したい、、、コーラスも踊れる女の子だというし」
「バンドは?」
「それも鍛えるしかないか」とニヤッと笑う。
彼と初めて伊豆へ出かけたときのことを思い出す。私は海のそばで育っているので海には慣れていた。が、彼はまさに水を得た魚のように、沖まで泳ぎ、潜り、
「ねえ、るみちゃんも潜ってごらん!」と立ち泳ぎをしながら手招く。私が平泳ぎで近づくとすでに足がつかない深さだ。
海で遊び慣れていても、泳ぎが上手いわけではない。
「さっきは鯵が群れをなしていたよ。早く早く!」「えっ、潜るって、どうしたらいいの?」「立ち泳ぎしながら、そこで逆立ちするの」
「はーっ、海で逆立ち?」「逆立ちしたら、潜れるから」
ええい、どうにでもなれ!と、私は思いっきり逆立ちをする。海の底へ向かって泳ぐ、大した深さではない、すぐに海面に顔を出す。「どう、綺麗だったでしょ!」「えっ、何も見えなかった」
龍史君は笑って「眼を開けなきゃダメだよ」私も意地になって又潜る。目が開けられない、また浮き上がる。龍史君は自分の掛けていた水中眼鏡をはずして差し出す。ムッとしながらも渡された眼鏡をかけ、又潜る。「見えた!」声を出しそうになり慌てて海面に顔を出す。
どうだ!という私の顔を見て一言「海底まで潜った証拠に、何か掴んで来て」
出来ない、では済ませない、出来るまでやる、やらせる、龍史君である。
出来た先に見えるものを、龍史君は想像している、自身はわかっている。
チーム・ユーミンは、松任谷さんも黒田さんも大橋さんも、その粘り強さを知らないだろう。
湾岸・首都高を渡り、つづきスタジオから悲鳴がきこえて来るような気がした。
💌💌語り手のつぶやき💌💌
5月17日の総会・総会イベントを控え、慌ただしく準備をしている最中の「中村語り」、手直しもそこそこに、通常より早く更新してしまいます。
今期の総会イベントのゲストは『みみみ』、今回の「中村語り」で少しだけ触れた松任谷由実さんのコンサートでコーラスを勤めていた、豊広純子さん、平塚文子さん、松木美和子さん(当時)の御三方です。初めてお招きする『みみみ』ですが、今回はオリジナル楽曲でお楽しみいただきます。 留美子 拝
