エピックソニーの丸山茂雄さんにお会いして、現在のアイドルが置かれている状況などを伺った。
簡単な手振りなどではなく、きっちり踊り歌う、ライブを重ねて、観客の口コミでファンを広げていく、今までに無いアイドル集団を誕生させたいとのことだった。
「中村さんが一座でやっているあの方式で観客を沸かせてほしい!」
いわゆる『レヴュー形式』、ミュージカルの原点だ。
僕流に言えば「ポップな宝塚」を目指すことで、同意も得た。
早速、中村流のパフォーマンスドール育成プログラムを始めることになった。
歌はともかく、ダンスの経験のない子ばかりで、先ずはしっかりレッスンをさせることだ。
三人のエピックのプロデューサーが付いた。楽曲は清水彰彦さん、現場付きの関島慶典さん、制作チーフの清水一光さんを中心に、発声から歌の指導まで、多くのスタッフが関わることになった。
レヴュー形式の構成では、楽曲選びから始まり、どの楽曲で誰を主役にその場面を創るかを考える。10年以上やってきたコンサートの構成では、託された楽曲に左耳の内耳を集中させ、聴こえない右耳では振動を感じ、聴いて聴いて聴き込んでどう盛り上げるのか、振付はどうするか、と考えていた。
用意されていた楽曲にプラスする、ライブに必要な楽曲をアッキーさん(清水彰彦)に注文する。オープニングは華やかに愛らしく、ステージを所狭しと動くエネルギー溢れる女子が5名から7名。
基礎のレッスンで、60分から90分間は動き回れる体力をつけさせよう。
「中村一座」の若者二人も動員し、合宿のようなワークショップが始まった。
原田知世さん曰く『先生の振付は生理に反する動きだけれど段々癖になってしまいそう』と。ならば、その振付のあり方を身体に染み込ませるようにすれば、後々、彼女たちも覚えるのが楽になるはずだ。手伝ってくれる、その二人の若者もダンスをしたこともなかったが、ショーパブのステージ、「中村一座」で回を重ねて、中村流のダンスであれば、すぐに覚え、指導できるところまで成長した。人前に立ち、本番を重ねることがプロフェッショナルへの第一歩である。
それにしても、左手でマイクを握り、歌い、動き回る。簡単なことではない。ワイヤレスであっても、片手にマイクを持ったまま、振付をこなすのはそうそう簡単なことではない。よくわかっているが、僕の経験上、若い可愛い女の子が集団で、それが出来たらカッコいい!
夏休みの原宿ルイードまで、パフォーマンスドールのフロントメンバーをプロへのスタートラインに立たせなければならない。
私も挨拶がてらワークショップを見学する。
「オーディションに受かったのに、これ何?」「普通のアイドルらしく可愛くデビューできるはずだったのに、、」「何故、こんなきつい部活のような訓練を受けさせられるの、、、」歯を食いしばる女の子達からは、そんな悲鳴のような抗議が聞こえるようだった。引っ張っていく中村は、一切無視してクールに進めていく。
家に戻ってから「あの子達は今、俺を恨んでいると思うよ。細かい立ち位置を覚え、足はステップで動きっぱなし、足先も指先もツっているんじゃないかな」
「貴方を憎んだり、恨んだり、悔しいと思う気持ちがバネになっているかもしれない」
「俺はさ、恨まれてもいいけれど、これがダメだったらせめてジャズダンスの先生になれるよう、教えているつもりだけど、、、そんな俺の思いなんてわかんないよなァ」
「うん、勿論わからないと思う」 思わず目を合わせて笑う。
「そうそう、龍史くん、秋の中村一座だけど、サンモールで二日間、総集編でいいのね?」
「うん、新作を考える時間もないし、英語版・日本語版ウエストサイド物語、ご存知・花盗人、シンクロナイズド・スイミング、キャッツのパロディ、それから」
「それから現代舞踊に、幽霊話の忠吉の恋もね。いつものメンバーに遠藤裕美子ちゃん、清水美惠ちゃん、AMAZONSのトコちゃん、久美ちゃん、裕子ちゃん、それから札幌の巨人もスケジュールをおさえたから」
「おー、キャストは豪勢だね!そうなると、一つや二つ、新作の演目も欲しいね」
「出来れば、だけど、、、チラシのキャッチコピーは『すてきな夢のTAKE OUTあります』でどうかな?」
「うん、オッケー。ありがとう、るみちゃん!」
「中村一座」の準備に追われながらも、東京パフォーマンスドールの特訓と稽古も進んでいた。
その特訓中に、嬉しい知らせが入った。
出産のため休んでいた、一座の看板女優、豊広純子とエピックのあいちゃん(会田明さん)の第一子誕生の一報に、中村も私もすぐに産院へ駆けつけた。1990年7月上旬、あいちゃん似の可愛い女の子だった。ロックのプロデューサーとシンガーソングライターの間に生まれた莉凡ちゃんは、後に、売れっ子のバイオリニストとなるのだが、まだまだ先の話である。
いよいよ、原宿ルイードで「東京パフォーマンスドール」の夏休みライブ、ダンスサミットが始まった。想像以上に厳しい入りで、お客様は毎日8人から10人程度、パードルの親族、スタッフが、あまりの寒さに震えながら観ていた。
「毎日、八甲田山状態でね」中村は、高倉健主演の八甲田山の雪中行軍の映画を例えて言ったものだが、彼も私も多くの方に「ルイードのダンサミへ是非!面白いよ!」と声をかけていた。
徐々に増えるファンに、「君らが一人連れてくるだけで倍になるんだぜ。連れておいでよ!」とファンに声をかけ続けた。
ガラガラだったルイードが、立錐の余地も無く人で埋まった日、ライブが終わった瞬間に、ずっと信じて通ってくださった丸山さんと私は「100人突破した!やったァ!」と手を取り合った。そこに、ファンを押しのけるように中村もやってきて、丸山さんと握手を。それを囲むようにファンの皆さんが、ぴょんぴょん跳ねていた。
なんの宣伝もしない、ネットの時代でもない、テレビにも出ない、MCもない、ノンストップで駆け抜けるライブ。口コミだけで広がった「東京パフォーマンスドール」の快進撃が、ここから始まった。
💌💌語り手のつぶやき💌💌
「中村一座」の演目を言葉で書いてもわからないかもしれませんね。その昔、ご覧になった方は、あれかな?これかな?と、笑いの記憶の糸を手繰ってみてくださいね。今から、36年前の話です。
東京パフォーマンスドールの当時高校生だったメンバーにも、お孫さんが居たり、隔世の感ありですね。
それにしても、中村の関わる長く続く舞台は、どれもワークショップがしっかりとなされています。なんでも時短にしようとする現代では、受け入れられないのかもしれませんが、もの創りに時間をかける、人を育てるのにも時間をかける、たまのお料理にも時間をかけてみる、大事なことだと思います。 留美子拝
