その21 「逗子・シアターサンモール・ふじ丸へ」

カーッと照りつける太陽を避け、逗子マリーナのプールサイドで日陰を探す。
ベンチはあるけれど日陰ではない。ミュージシャンの奏でる音は、雲ひとつない青空に吸い込まれ、本番を数時間後に控えたユーミンスタッフも出演者もリハーサルに余念がない。
ユーミンの歌声を聴きながら、ベンチでひっくり返り、文庫本で日を避けながら読み進む。
思いっきりお行儀の悪い私の姿など誰の目にもとまらず、龍史くんの仕事の邪魔にはなっていないのか、時折起き上がってはキョロキョロするが誰も気にもかけない。何と贅沢な時間だ!

龍史くんがユーミンのステージに関わってから、ありがたいことに真夏の数日を逗子で過ごしていた。リハーサルが終わると、マリーナ内にあるスタッフのチーフ部屋で小宴会が始まる。
「まぁまぁ、座っていて、ビールでも飲んでさぁ」と、龍史くんと私は、何もせずに照明の林さんの作る塩焼きそばを待っている。「これでよいのですか?」合図を、龍史くんに眼で送るが、「いいんじゃない」風の眼の返し。
流石にビールは先に飲まずに待つ。そこへ音響の河田さんとステージプロデューサーの大橋さんが「小坪の魚屋のお刺身!」と大きな紙皿を恭しく捧げて入ってくる。
座ってもいられず立ち上がろうとすると、「まぁまぁまぁ、座っていて。ビールでいいかな?」と河田さん、「ありがとうございます」と言いながら動こうともしない龍史くんを見る。
「僕はさ、腎臓、悪いからいいの」目線で私を見、瓶ビールの栓を開ける。結局、年下の私たちはすっかり甘えて、夏休みの従兄弟会のような気分になる。飲んで食べて、映画や音楽や舞台の話で盛り上がる。龍史くんはともかく、仕事と全く関係のない私まで受け入れ、ふわっと包み込むオジサンたちの許容量に感心していた。後々、オジサンたちの年齢を知った。少しだけお兄さんとわかり、私の経験の無さ、人を見る目の無さに、オジサンはないだろう!と深く反省し、よくよく自分に言い聞かせた。
それにしても、どうして龍史くんはあんなに自然に男性スタッフに甘えられるのだろう。高校の野球部のキャッチャー恩田くんも言っていた。「リョウジの靴の紐がほどけていたら、何故か自分が屈んで紐を結んでしまうんだよね」と。

1986年『SURF&SNOW』in Zushi Marina は、7月28日に幕を開けた。
ピラミッド型の舞台装置で、長く急な階段の踏み板が狭く、観ているだけでも思わず口に手を当ててしまう。その階段でのステージングのリハーサル中、ユーミンがミュージシャン、コーラスを従えて三角形の中心にぴたりとおさまるよう、何度か音に合わせる。龍史くんは皆を見ているようでその目はずっと先を見据えているように見える。細かく指示を与え、ピタッとステージングも決まった。
「センセ、算数、得意だったでしょ!」とユーミンに声をかけられた龍史くんは、笑いながら「そろばん三級」と応えた。
そのステージでは、ユーミンが水上を歩き、ギターのいっつあんこと市川さんは、ギターを弾きながら水中に没して行く。水の苦手な市川さんは、直前まで嫌だと言い続けたらしい。

水中に没して行く市川さんにお客様から大きな拍手が湧き起こった。後に私が「すごい拍手でしたね!」と伝えると「な〜んにも、聞こえなかったんだよね、それどころじゃなかったぁ!」と。
市川さんは無事に水に潜り続け、逗子の夏の祭りは終わった。

1989年6月1日から4日間、「中村一座」は新宿のシアターサンモールにて「NAKAMURAイリュージョン」を上演した。前回の「リバーシブルⅡ」のパンフレトから、私なりに制作のあり方を考え二人の意見を反映していこうと、それまで制作を頼んでいた向井さんと話した。特別に舞台が好きではない向井さんとは、なかなか話が噛み合わない。

プロデュースをきちんと教えてくれる人はいないだろうか、、、と思っていた矢先、豊広さんからいい人を紹介された。豊広さんのご主人、エピックSONYの会田明さんである。予算の立て方から宣伝の方法まで、事細かに教えてくださった。私は頭に叩き込んだが、稽古が始まると「あーしたいよね、こうしたらもっといいよね」と、結局、予算を無視して突っ走る私自身に気づき、呆れ返る。龍史くん以上に、私がコントロールの利かないダメプロデューサーだとわかった。それでも、始めたら続けるしかない。
当時、ホワイトタイガーを檻から消す「ツムライリュージョン」が人気を博していたので、幕開けはやはり何かを消そうと考えた。何を消す?何を消す?「やっぱ、ホワイトタイガーっしょ!」札幌から出演の四季の先輩・塚田さんのモノマネで返された。「菊地さん(衣装)に頼んで、可愛くていいからさ、着ぐるみを作ってもらって」私はちょっと気が抜けた。

本番では、主催のル・ルティモのスタッフ木村くんが、開場中の表を整理し、開演5分前に裏へ走りホワイトタイガーヘ変身し、何度か稽古して上手くなった術で、見事に消えて無くなり、お客様の拍手と笑いをさらっていた。
出演者は、豊広さん、松木さんは結婚して濱田さんに、劇団四季の後輩の遠藤裕美子さん、若者三人組と、AMAZONSの吉川智子さん、斉藤久美さん、大滝裕子さん、中村を含め総勢11名。
チラシを作る段階で、会ちゃんこと会田さんに相談すると「龍史さんとこれまでに関わったアーティストや俳優から一言キャッチーなメッセージを頂いて、それをチラシに入れ込んだらどう?」それを受けて中村が「イリュージョンって、うたっているけど、イメージはサーカスみたいな。オレは猛獣使いでどう?」と、打ち合わせが弾んでいった。
有難いことに、頼んだメッセージは遅れることもなく、集まった。

「私の表現でいわせていただければ、竹を割ったような二重人格 松任谷由実」
「龍史さんのステージは本当におもしろいので、腹の底から楽しんで下さい 大江千里」
「おすまし顔の中村大先生、また、私のステージもよろしく!! 南野陽子」
「先生の振りは生理に反する動きだけれど、だんだんくせななってしまいそう 原田知世」
「あいた口がふさがるまで、少々お時間いただきます。中村龍史は退屈させません 渡辺 謙」

この声援と期待を背負い、龍史くんは子供が次々と悪戯を考えるように、アイディアを形にしていく。0を1に変えていく。中村にとってその作業こそ、生きている証なのだろう。

1989年12月16日15時、横浜港からふじ丸(さくら丸の改修が間に合わず)が出航した。一泊二日のユーミンのクリスマスコンサート。ライブはもちろんのこと、クリスマスディナー、フリーマーケット、カジノ、ビンゴ大会、ディスコなどの沢山のイベントで、夜通し遊び尽くそうと期待に膨らんだファンと共に、「中村一座」の面々も意気揚々とふじ丸に乗り込んだ。

大島を周って横浜港に戻るだけなのに、ディナーの最後、デザートの器がススーッと横に滑った。
私は何故かユーミンの斜向かいで、器を目で追い、戻しながら顔を上げる。ふと目が合う。「船は好きではないの」「私も苦手です」と目と目で交わす。
このあと、ユーミンはライブで歌い踊り、ビンゴ大会が終わると、いよいよ「中村龍史一座」のザ・リバーシブル開演である。
若者三人組と豊広さん、松木さん、龍史くんの六人でやったのか、どんな演目をやったのか、ユーミンの「卒業写真」のパロディは?その辺りの記憶が全く抜け落ちている。どういう経緯で、クリスマスコンサートに出ることになったのか、これも又記憶にない。

「一座」も終わり、ホッと一息、龍史くんと私は夜風にあたっていた。寒いけれど緊張と興奮の後の気怠い心地よさに、暗くて見えない船の向かう先をボーッと見ていた。
ユーミンの楽曲が流れる中、夜中のデッキにお客様が集まって来た。皆歌っている、踊り始める。よく振りを覚えているものだと私は感心してしまう。「星空の誘惑」「真珠のピアス」「恋人がサンタクロース」クリスマスライブの最後の三曲もかかっていたと思う。
「ねえ、センセイも一緒に!」とユーミンファンから声をかけられ、どんどん増えて行くお客様の輪に引きずり込まれて行く。
ナカムラセンセイを先頭に、大きな三角形になって行く。よく見ると手の空いたスタッフも踊っている。その場で彼の振り付けたものが、次々、広がって行く。船のデッキは人で埋め尽くされていた。狂喜乱舞とも少し違う。こんな光景は二度と見られないだろうと、私は離れたところで感動していた。それなのに、楽曲の記憶がない。音のない映像のように今だに残っている。身を震わせて見ていたあの楽曲は、「埠頭を渡る風」だったろうか。
音のない映像が私の宝物になっている。
                                                                
                                                                         
                                                                                      
                                                                      
💌💌語り手のつぶやき💌💌

手放すと覚悟した八ヶ岳の山小屋の、やまぼうしの白い花が見事に咲いた。20年前に植えたものだが、今まで、一度も咲いたことがない。正確に言うと、やまぼうしの花ではなく、ガクなのだそうだ。
昨年、敷地内のカラ松を11本,切った。秋になると黄金色の松葉がハラハラと落ちる様は何とも美しいが、屋根に落ちると濡れ松葉になり、屋根をダメにする。見上げてもてっぺんが見えないカラ松伐採のために、重機が2台来たそうで、太いものは切り口がテーブルになるほど大きい。切ると決めた時から心がいたみ、気に病んでいた。木は気に通づる。
ところが、そのカラ松を切ったからこそ、やまぼうしに陽が当たり、デッキに枝垂れるように咲き誇っていた。大好きなブナの木も大きく育った。命を奪って命を再生させた。
人生と同じか。私自身も生き返った気がした。                 留美子拝

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