「タコ少年17歳、黒澤明監督に出会った!」

黒澤明監督の『トラ・トラ・トラ!』は、黒澤プロダクションとアメリカの20世紀フォックス社が提携し、聯合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん)山本五十六を中心に、太平洋戦争の発端となった、ハワイ真珠湾攻撃作戦を描いた映画である。

1970年(昭和45年)公開時の「トラ・トラ・トラ!」〜我、奇襲に成功せり〜、ここ迄一括り(くくり)で覚えている。いかにしてパールハーバーから始まったのか、本当に奇襲だったのか、興味もないし分からない多くの若者さえも、頭に刷り込まれた感がある。
黒澤監督の脚本の準備稿は『虎・虎・虎』と漢字表記だったそうである。アメリカ側は当然「Tora・Tora・Tora!」。
『ノーモア ヒロシマ!ナガサキ!』といえば『リメンバー パールハーバー!』と返ってくる両国の関係を、映画の力で誤解を解き、弁明が許されなかった日本の、日本人の、心のあり様、真の姿を描きたかったのか。偶然にも黒澤監督56歳の時のオファーだったとも聞く。
新しいものを創り出す、新しい関係を築き上げる、そういう時には何か因縁めいたものが蠢いている。
主役の山本五十六司令長官や主要キャストは、海軍出身者、一般人のオーディションで選んだと聞く。勿論、黒澤作品でお馴染みの映画俳優や新劇団の役者も顔を揃えていた。

17歳のタコ少年は、池袋や飯田橋の小さな映画館で、黒澤映画の「七人の侍」「生きる」「天国と地獄」を観た。なんと言っても明るく笑えるエンターテインメント好きである。
ともすれば、ひとり俯き、心はトンネルの中に入り込んでしまう彼にとって、笑いは不可欠の要素である。ところが、黒澤映画には、笑い飛ばす心情は描かれても、ノーテンキに笑うシーンはあっただろうか。
彼は彼なりに、オーディション攻略法を考えたに違いない。

そんなある日、久々に親子三人での夕食時。揚げ物大好き家族の大好物である、お姉ちゃんの『ロースとんかつ』に、お父さんはたっぷりとトンカツソースをかける。
「ダメダメ、そんなにソースをかけたら、ソースの味しかしなくなる!」
お姉ちゃんが怒っても、お父さんは知らん顔して食べ始める。
「粋じゃないねえ。野暮だねえ。江戸っ子じゃないねえ!」
お姉ちゃんの江戸前三段活用だ。
お父さんは明らかに話題を変えようと僕に話しかけてくる。
「映画のオーディションの後はどうするんだ?」
何も考えてないわけではないが、今はオーディション攻略法で頭が一杯だ。
「そうよ。あんた高校三年生よ!進学コースじゃなかった?」
お姉ちゃんは、コロコロと話題を変え、よくわからない話でも入り込んできて、自分なりに辻褄を合わせる。
「ハックション!」思わず、くしゃみが出た。
「やだ、良二、きたない!」
「仕方ないじゃないか!」
「あんた、小学生の頃、クラスの学芸会でおんなしこと言ったのよ!」
お姉ちゃんが又、サザエさんのように指差して、勝ち誇ったように笑う。
なんで、お姉ちゃんが憶えているんだ。僕にとったら死ぬほど恥ずかしい、生まれて初めての
台詞。仕方ない、再現してやろう。
「ハックション!だって出ちゃったんだもの、仕方ないじゃないか!」
僕はトンカツを飲み込んでから、大きく棒読みで二人に披露する。口がタコのようにとがらないように気をつける。
「それでいいんじゃない!オーディションの時も!」
「ふざけんな!このサザエもどきが!」と、あくまでも心の中で叫ぶ。
お姉ちゃんにはお弁当で世話になっている。お弁当を二つ作り、それを毎日美味しく食べているのは僕だと、信じて疑わないお姉ちゃんには感謝している。けれど、だ。
「それで、どうするんだ?大人の劇団にでも入るのか!」
「あー、それも考えている」
今夜は、一度もお父さんの枕詞(まくらことば)『てめえ、馬鹿野郎。この野郎!』が出てこない。照れくさそうに、真面目に話そうとするお父さんは、僕の先々を心配して、ロースかつで和気あいあいの頃合いをみてのことだろう。
たしかに毎日、高校へは行っているが、教室を通り越し、野球部へ。僕はファーストを守っていたが、同じように授業を受けないキャチャーの恩田とキャッチボールをしたり、マスクもしない恩田の顔を目掛けてピッチャーの真似事をしながら遊んでいた。
志望大学も出さない、面談にも出ない、もちろん勉強はしない、三拍子揃っているので担任は就職コースに変えてしまったのだろう。なんの文句もない。

「職人も基礎が大事だ!良い親方に就いて修行する、続けていれば大事なものが見えてくる、基礎がなければ、良いも悪いもわからない」
揚げたてのロースかつにソースが染み込んでいくのを目の端で捉えながら、
崩していた膝を正した。
「はい!」と一言答えた。『はい、父上さま』と心での中で呟いた。

いよいよオーディションの日がやってきた。
とても暑かった!いや、僕だけが身体中から熱を発していたのかもしれない。何処へどう行ったのか、会場へ着いた頃にはびっしょりと汗をかいていた。
番号と名前を呼ばれる前は、隣で待つ男性に自分の心臓の鼓動がきこえているのではと、思えば思うほど、またまたドキドキする。なんて気の小さいやつだと思われているかもしれない。あー、このドキドキをワクワクに変えればいいんだ、と思い直す。
それからしばらくして会場へ呼ばれた。何人一緒だったのか、僕は真ん中に居て、俯き加減から目を上げると、審査員席の真ん中が大きく光っている。その光は巨大なエネルギーを発していた。飲み込まれるようにそこに居た。

いつの間にか終わって、家路に着いた。どうしようもなくくたびれた。夕ご飯はタコの唐揚げのような、フライだった。「タコ、お手揚げのつもりか?」一瞬ムッとしたが、『タコカツ』
『たこ勝つ』はきっとお姉ちゃんのエールだ。

数日後、オーディションで選ばれたのは50人程の社会人と学生だった。
その中に、山本五十六長官の伝令役として、高校3年のタコ少年の姿があった。

夏の高校野球東京大会では当たり前のように負け、力足らずを痛感し、そう、何もかも上手くいくわけがないかと、反省した。僕たちの野球部は、先輩諸氏から受けたしごき、肉体的な制裁を、後輩には絶対にやらないことを旨としていたので、良いのか悪いのかわからないが、
穏やかな野球部になっていた。

元浅草に住む恩田君は、スキーが巧く、三社の御輿も担ぐ。強面だったので、先輩はなにかにつけ、ケツバットと称して容赦なくバットで尻を叩く。
「良二はいいよなあ。色白でさ、なんだか優しい雰囲気があるから、先輩も手を出さないんだよね」と、恩田君は、良二君のほどけた靴紐をしゃがんで結んでくれている。
「あー、ありがとう。野球も終わったし、オーディションも終わったしさ、久々に赤坂あたりに出かけない?」
「どこよ?」
「MUGEN!」
二人は待ち合わせていそいそと出かけた。

バンドのリズムに乗って、良二君は自分流に動く。恩田くんが真似て動く。周りにいる大人たちも真似て動く。良二くんはステップだけでなく手の振りも付けていく。恩田くんが、周りの大人が、同じ振りをする。言葉はないけれど、其の振りを通して高校生と社会人が一つになり、輪が広がって行く。

1968年(昭和43年)12月2日
「トラ・トラ・トラ!」の撮影は、京都の東映撮影所から始まる予定だった。
その日は、道具の搬入とリハーサル、翌日の3日から撮影は始まった。
ロケも多く、福岡県の芦屋には、登舷礼(とうげんれいー海軍礼式の一種。乗員全部を艦の両舷に整列させて貴顕の送迎および出征・遠航の軍艦に対して敬意を表する)の撮影のために
戦艦『長門』『赤城』のオープンセットが組まれていた。

良二くんは、大日本帝国海軍の軍服を着て、撮影所のスタジオの入り口に立ち、入って行く俳優の顔と役柄を確認しながら「聯合艦隊司令長官山本五十六、入ります!」と、お腹から声を出し、捧げ銃(ささげつつ→軍隊で銃を持っている時の敬礼の一種で、両手で銃を体の中央前に垂直に保ち、敬礼すべき相手の眼に注目する)の礼をとる。
勿論、黒澤監督が入る時にも敬意を持って『捧げ銃』するのだが、なんと声をかけたのか。
「黒澤監督、入られます!」だろうか。スタジオ前まで赤い絨毯が敷いてあった。そこを体格の良い長身の監督が歩いてくる。スポットライトが当たっているわけでもないのに監督そのものが光になって進んでくる。黒眼鏡のイメージだけれど、そのときは眼鏡をかけていなかった、ような気がする、、、光が近づき僕もその光に包まれた。僕は慌ててお腹に力を入れ、思っきり大きな声を出した。その声に軽く頷いて、その眼が優しく微笑んだ、、、。大人が命懸けの仕事をしている様を、自分の美意識を貫き通す意地を見せてくれたように思う。
毎日、その敬礼は続いた。

撮影後半は休みが続き、その後、黒澤監督は突然、解任された。
その理由も、僕ら下っ端の俳優にはなんの説明もなく、撮影は中断した。

そう言えば私が高校生の頃、「黒澤監督解任劇」という文字を、雑誌やテレビなどで頻繁に見た記憶が蘇る。その言葉に、大人の醜い怪しい匂いがした。

ずいぶん待たされて、撮影は再開した。
日本側の監督は舛田(利雄)さん、深作(欣二)さんに交代し、僕の役柄もただの一兵士になり、新劇団の俳優も、黒澤映画の常連の俳優も、自ら役を降りた。

「良二、お前の卒業証書とアルバムは、おいら預かっているから」と、恩田から連絡が来た。
気づかないうちに、高校を卒業してしまった。

大人と映画界の都合に振り回され、大人の世界を垣間見た数ヶ月だった。いい加減な僕でも、野球部の仲間や、諸々見逃してくれた先生方に一言、挨拶をしたかった。自分のことで精一杯だった余裕のなさが恥ずかしい。

さて、お父さんの云う「大人の劇団、基礎をみっちり仕込んでくれる劇団って、どこだろう?
俳優座、文学座、民藝も入所試験の時期を過ぎてしまった。
1年近く余裕があるから、、ま、いいか!、、。

タコ少年は青年の域に入っても、ま、いいか!の精神が、まだまだ息づいている。

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